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2025年6月27日
カナダの変なお兄さん、ショーン・ニコラス・サベージを聴くようになったのは、もう10年も前のことでしょうか。70〜80年代を思わせる宅録シンセのムードと共に跳ね返ってくる、圧倒的な歌唱力。かと思えば、実に庶民的で、いつもタンクトップだし、すきっ歯だし、煙草もヘビーな方だと思う。世界観も挙動も、あきらかにヘンな人なのですが、そのすがた佇まいは、つねに僕たちと同じような暮らしの延長上にあるという可笑しみ。それが、好きなのかもしれません。2020年にモントリオールで発表していたミュージカル『Please Thrill Me』の存在を、つい最近になって知りました。遅ればせながら観たそのフルパフォーマンスの美しさに、思わず感動してしまい、かつて彼をよく聴いていた頃の記憶が再燃しています。英語ができないので内容はあまり理解できなかったけれど、クラシカルで、本当に美しかった。「ああ、この人、これがずっとやりたかったんだろうな」と、素直にそう思える1時間でした。誰にでも、美しい世界というものがあって、それをこの現世に残したい、あるいは一度でも経験してみたいと、どこかで思っているんじゃないかと思います。音楽はもちろん、写真や映像、立体表現。自らと外部の気持ちが接続できるメディアを通じて、そうした世界を目指してチャレンジしていくことになるのだけど、その“美しいもの”をピュアに届けるためには、単一のメディアだけでは届くと胸を張れないでいる自分もいます。受け手の気持ち、環境、社会情勢……あらゆる外部要因に、どうしても左右されてしまうのではないかと。だからこそ舞台を用意して、バックバンドやキャストの力を借りながら、自分の世界に一歩踏み込んでいく。その姿に僕はとても励まされました。
写真はナイキ エアリフト。単に代替わりの一瞬を撮ったものです。左が新しく迎えた一足、右が1年半ほぼ毎日のように履き続けたモデルです。こうして並べると、さほどの差はないようにも見えますが、実際にはあちこちが破れ、変形し、靴としての秩序はすっかり失われています。にしても、靴って1年半でこんなに壊れるものでしたっけ?よく「モノはもっと大切にしなさい」と叱られながら育ちました。でもそんなに雑に扱っているつもりはありません。むしろ気に入ったものほど、徹底的に使い込むタイプです。だからこれは、モノの問題というより、僕のパフォーマンスのほうが問題なのかもしれません。僕の職業はけっこう歩くし、しゃがむし、小走りですし、現場によっては泥も水もある。靴のほうがついてこれなかった。そう言いたくもなります。エントロピー増大の法則を例にモノの刹那について語ってくれた鯵坂兼充さんの言葉が、写真を眺めながらふと浮かびました。すべてのモノは僕の前ではいつか壊れる。そして僕も壊れる。その一瞬の手前で、ちょうど一枚、撮っておきたくなったのでした。
余白という言葉をよく耳にします。写真やデザインにおける余白、暮らしの余白、わたし自身の余白。それは洒落た兄さん姉さんたちがまるでドレスコードのように使うし、2000年代中盤頃から勢いを増した「丁寧な暮らし系」の人々のあいだで広まったスラングの一種なのかとも思っていました。しゃらくせえ言葉だと。しかし、わたしも33歳になってようやくその意味がわかってきた気がします。いや、わかっていたのに言葉にできていなかっただけなのかもしれない。余白とは「澄んだ心地」のことではないかと。何のノイズもない、切なさすらすっと入り込める空虚な器。つまりは、ただ感受を待つだけのわたし自身です。思い返せば余白というのは意識して自分でつくれません。意識の外側からふいに訪れるものです。日常のなかの、ふとした奇妙さや静けさが引き起こす一瞬の空白。それこそ余白です。誰もが余白を求めている一方で、それを人為的につくり出そうと試みては、うまくいかずに戸惑うことがある。たとえば美術館で素晴らしい作品と出会っても、心のなかに澄んだ余白がなければその魅力はまっすぐに届かないのです。あるいは、ノイズで満ちた心には作品の光が射し込む余地がなかったということもあるのかもしれません。先日山梨県にふらりと旅をしたとき、わたしは思いがけずその「余白」に触れました。何か特別なことがあったわけではありません。ただほんの数分間、何も考えず、静けさのなかに立っていただけでした。心がふと澄んで、あらゆる感覚がいっせいに広がるような、不思議な瞬間でした。そしてまた気付きます。写真をきちんと観てもらうには、きっと作品だけでなく、その人の生活リズムや気配さえも整っていなければいけないのではと。もしそうならば、パッケージや装丁の工夫だけでは足りません。もはやゲストの一週間の過ごし方から変えてもらわなければならない──なんて我ながらばかげた話です。けれどそんなばかげた話が、ほんの少し本当のような気もしています。
2025年6月10日