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2025年1月13日
 
「やさしすぎる」今でも尊敬しているブンボ株式会社の江副Pに言われ続けたことを思い出します。やさしいという印象にも種類は数あるとしても、彼が意見するのは、良い顔をして、いやむしろネガティヴな感情を恐れてなのか、つい相手の要求を受け入れてしまう類のやさしさのこと。(以下これをやさしさと呼ぶ)僕はたしかにやさしい。ただこれが厄介です。いまたくさんの好きな人と交友関係を持ち続けられているのはきっと、やさしさが育ててくれたものでもある、というとおこがましいけれど。しかし彼が赤ペンで書くところは、それが時にしてその性格は悪にもなることを孕んでいるということです。確かにやさしさを逆手に(いや正々堂々と)手玉を取られることも多いし、泣きを見たことなんて何度もある。まあこれは僕自身の問題です。ですが僕以外のまわりへの影響に赤ペンが波打っているわけです。安請け合いしたあげくプロジェクトが陳腐なものになってしまったりはその例。そこにやさしさで受け入れてしまったことで、方々に悪影響を及ぼしてしまうことだってあります。やさしさを分解するとその主成分は「誰かではなく自分のためだけ」にあります。それが例えば人のため、なにか違うコトへのためのやさしさだったとしたら?自分の保身を超えた部分で誰かと繋がっていけたのかもしれません。もっと妥協のない正直な未来を得られていたのかもしれません。できることはできる。できないことはできない。これをいかにしっかり伝える「自らの言葉」を身につけるかっていうのは、もちろんド正論なのでまたの機会に置いておくとして、誰かのために、これまでの自分のやさしさを戒めたいと思うニューイヤーです。もうすぐ月も半分に折り畳まれるゾ。


(2023年12月_ContaxTVS)


2025年1月2日
 
おととしの秋、軒を同じくして四世帯が住まう二階建の長屋に越してきました。大阪梅田からふた駅離れた下町です。二階建だし躯体も古いので大掃除にはひと汗かかされます。大晦日はそうして暮れることになりました。ソファの1脚すら通せないほどの小さな玄関(小回りがきかない)、年季の入ったタイル張りの風呂や便所、それにしては広すぎる台所。二階建なので往来はあたふたするし、軒先の道路はクルマが1台ようやく通るくらいの路地の中に建っているから不便なのだけど、なかなかここでの生活は気に入っています。年末年始の買い出しのために最寄りの商店街に出かけたのですが、16時頃の空はすこしだけじめっとして、夕陽が分厚い雲で見え隠れしながら、だんだんと落ちて行く感じが、なんとも大晦日っぽいなと感じました。大掃除が終わったのは21時頃、歩いてすぐの場所に風呂屋へ2024年というこれまた激動の365日の錆を落としに歩く道中、自転車ごと転んだおばあちゃんを助けるという大団円。おばあちゃん、かわいそうやったわあ、大晦日の夜に一人ぽっちでコケてもうて。僕らがたまたま通りかかったからよかったけど。おばあちゃん「ありがとう、ありがとう」って泣いてはったわ。怪我せんでよかったね、良いお年をお迎え下さいゆーてね。

明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
(2024年11月_GFX50R)